江戸時代から愛されるにがり豆腐
大本山 南禅寺御用達〈京豆腐 服部〉が江戸時代から愛されるにがり豆腐の味を復活!
三色田楽や白和えでお召しあがりください。
明治43年創業の〈京豆腐 服部〉。創業当時から南禅寺門前の湯豆腐店に豆腐を卸している老舗の豆腐店です。三代目の店主である服部一夫さんは、「にがり」を使った昔ながらの豆腐を復活させたいと試行錯誤を重ね、昭和55年に十年来取り組んできたにがり豆腐を発売。そのおいしさは「大本山 南禅寺御用達」の名を受けるほど。〈美濃吉〉が惚れ込む服部さんの豆腐づくりをご紹介いたします。
江戸時代から伝わる名物・南禅寺豆腐。
「絶景かな、絶景かな」石川五右衛門が歌舞伎『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』で披露する名台詞でも有名な、京都・臨済宗大本山 南禅寺。厳しい修行で知られる格式の高い禅宗寺院でありながら、石川五右衛門も絶賛する南禅寺山門からの景色の美しさもあり、人気の寺院です。江戸時代中期には門前の湯豆腐は全国的に知られており、参道には湯豆腐店が軒を並べていたといいます。〈京豆腐 服部〉も創業時から湯豆腐店に豆腐を卸していました。服部さんの豆腐への熱い思いはこの歴史から始まり「店の子にも、名物に恥じないものをつくるために、仕事に責任と誇りを持ってほしいと言っています」。では、〈京豆腐 服部〉の豆腐づくりをかいつまんでご説明しましょう。
〈京豆腐 服部〉の豆腐ができるまで。
京都市左京区、黒谷町にある〈京豆腐 服部〉。朝2時半から仕込みが始まります。前日から水につけておいた北海道産大豆を、すり潰して呉汁(ごじる)と呼ばれる状態に。呉汁を二重釜に移して、均一に火が通るようじわじわ炊いたものを絞り器にかけ、おからと豆乳に分けます。アツアツの豆乳に、沖縄産と伊豆大島産をブレンドしたにがりを打ち、「ワンツー」と呼ばれる道具で一気に攪拌。木綿を敷いた器に流し込み、40~50分くらい置いて固め、水に放って切り分けます。水に浸ける時間、炊く時間、にがりの配合などは気温や大豆の状態などで日々変化。大豆の甘み・香り・うまみが一番引き出される豆腐づくりには、服部さんや職人たちによる熟練の技と情熱が込められているのです。
おいしい豆腐づくりに重要な京都の「水」。
服部さん曰く、豆腐づくりに大切なことは四項目。
一、きれいに大豆を洗う
二、水温
三、水質
四、衛生管理
豆腐づくりで大きな位置を占めるのは京都の「水」。京都の水は弱アルカリ性の軟水で、豆腐づくりに適しています。カルシウムやマグネシウムが多い硬水だと、大豆のたんぱく質と結合して豆腐が固くなってしまうのです。水温は年間を通して15℃前後に保たれ、大豆につける水をはじめ、使われる水には全て細心の注意が払われています。最初に大豆をきれいに洗うことで汚れや雑味を取り除き、衛生管理に気を配ることで、日持ちを含めて安定した豆腐をつくることができるのです。
「にがり」を使った昔ながらの豆腐を復活。
「にがり」は海水から塩をつくる過程で生成される、塩化マグネシウムなど多くのミネラルを含む液体です。昔から伝わる南禅寺の木綿豆腐は、にがりを使って固めた豆腐でした。しかし第二次世界大戦時、にがりが手に入りにくくなり、豆腐づくりには澄まし粉(硫酸カルシウム)が使われるようになったのです。澄まし粉を使うとにがりに比べ豆乳濃度が薄くても固まり、柔らかい食感になるため経済的で、豆腐づくりには澄まし粉を使うことが一般的になりました。しかし服部さんは、南禅寺豆腐を蘇らせたい、にがりを使った大豆の甘みや香りが感じられる、昔の豆腐を復活させようと固く決意。困難を極める、にがり豆腐づくりへの挑戦が始まりました。
日本が誇る豆腐の食文化を、京料理として発信。
やがて釜での炊き方が大事であると気づいた服部さんは、にがり豆腐を作る機械を製造しているメーカーを知り、九州まで出向き購入を決意。十年来の取り組みはようやく実を結び、昭和55年にがり100%の豆腐を発売。大豆の風味がそのまま生きるにがり豆腐は評判を呼び、平成6年には「大本山 南禅寺御用達」の名称を名乗ることを許されました。近年〈京豆腐 服部〉の豆腐は日本が誇る食文化として、テレビ番組などで世界にもその素晴らしさが発信されています。「我々は、日々努力してさらにおいしいものを、お客様に喜んでもらえるものをつくりたいと思っています」と服部さん。〈美濃吉〉は、そんな服部さんたちが手がけた豆腐の味わいを、京料理として多くの方々にお届けしてまいります。
〈三色田楽〉
〈京豆腐 服部〉の木綿豆腐を、木の芽味噌・柚子味噌・赤味噌の3種類の味でお召しあがりいただけます。
〈白あえ〉
田楽に使っているより少し柔らかい豆腐を使ってなめらかになるまで摺り、季節の野菜などと和えています。