端午の節句と五月の歳時記について
五月といえば端午の節句があるGWに加えてお母様へ感謝の気持ちを伝える母の日もあります。
外へ旅行に行くのも楽しみ方の一つですが、親しい方を集めてご自宅でちょっと豪華な食卓を囲むのもよいのではないでしょうか。
今回は五月の歳時記についてブログ担当者が集めた情報をもとにご紹介していきます。
※由来や起源については諸説ありますのでご了承ください
端午の節句
別名、菖蒲の節句とも言われる端午の節句が日本の行事となったのは聖武天皇の代(724~749)です。
「端午」とは月初めの「午の日」という意味です。古代中国では旧暦5月5日に邪気を払う行事が行われていました。日本でも田植え前の5月、菖蒲とよもぎの屋根の下で厄を払う女性の祭りがあり、中国の風習と結びついて5月5日に菖蒲湯に入るなどの習わしが生まれたと言われています。
端午の節句が男の子の祭りに変わったのは、江戸時代です。菖蒲が同音の「尚武」に転じて男児の節句とされ、この時代に五節句の一つに定められました。男児のいる家では鯉のぼりを上げ、武者人形を飾り成長を祝う習わしが今でも続いています。
行事食
柏餅
柏は若い葉が出るまで古い葉を落とさない事から「家督が絶えない」という縁起物として「柏餅」を食べます。
ちまき
中国戦国時代の楚の国の忠臣であった屈原(くつげん)が5月5日に川に身を投げ無念の死を遂げた際、人々はその死を嘆き悲しみ竹筒に米を入れて川に投げ入れました。そうしたところ、屈原の霊が表れて「コメはチガヤの葉で包んで糸で結んでほしい」といったことに由来するといわれています。
京都に残る端午の節句
その強い香りにより「邪気を祓う薬草」とされた菖蒲を使う風習が残る地域も多いようです。
例として「軒菖蒲」家に災厄が入るのを防ぐ、「菖蒲酒」無病息災、薫風を運ぶ、「菖蒲湯」香りで邪気を払うといったものがあります。
皆で、おくどさんでご飯を炊いて「ちまき」を作り菖蒲酒を飲み交わして邪気を払います。
初風炉(はつふうろ)
茶の湯では五月~十月を風炉とし初夏のおもてなしでお客様を迎えます。
初風炉の五月には道具類も清々しいものを用い、初夏の魚や新鮮な野菜を使った料理でおもてなしをします。
茶摘み(八十八夜)
立春から数えて八十八日目の日をいいます。農家ではこの日から作物の種やモミをまきます。
この頃茶摘みが最盛期を迎え、八十八夜の新茶を飲むと長生きし縁起が良いとされました。
母の日
五月の第二日曜日は母の日です。
1907年にアメリカ、バージニア州の少女が母を偲んで白いカーネーションを手向けたのが始まりだといわれています。日本では1949年に東京都が母の日大会を開催し、その後「母に感謝する日」として年中行事となりました。
その他、五月の歳時記
鴨川をどり
京都市中京区の先斗町歌舞練場で5月1日~24日にかけて行われる先斗町の舞妓、芸妓による舞踏公演です。鴨川畔に位置する歌舞練場で伝統の舞台を披露しています。
葵祭(あおいまつり)
京都市左京区の下賀茂神社、京都市北区の上賀茂神社で5月15日に行われる京都三大祭りのひとつです。
六世紀半ば大飢饉が続き風水害に見舞われました。占いにより「鴨神社の祟り」とお告げがあり馬に鈴をかけ人は猪頭を被り競い合った処、風雨が収まり豊作となったことが始まりとされています。
平安時代の装束をつけた五百人もの行列は絢爛で優雅な王朝絵巻そのものです。
流鏑馬神事(やぶさめしんじ)
京都市左京区の下賀茂神社で5月3日に行われています。
葵祭の前儀として古式にのっとり馬を走らせながら三つの的を射抜く清めの神事です。
その馬の毛並みや遅速、騎手の技量などを競います。
千本ゑんま堂 大念仏狂言
京都市上京区千本ゑんま堂で5月1日~4日に行われる京都三大念仏狂言の一つです。
開祖の定覚上人が布教のために始めたといわれています。
賀茂競馬(かもうまくらべ)
京都市北区の上賀茂神社で5月5日に行われます。
堀河天皇が宮中武徳殿で行なわれていた競馬会を奉納したことから始まりました。2頭の馬で速さを競い合います。
藤森祭(ふじのもりまつり)
京都市伏見区の藤森神社で5月1日から5月5日にかけて行われます。
端午の節句の発祥の祭りとされ、節句に飾る武者人形には藤森の神が宿ると言われています。
五月満月祭(ウエクサ祭)
京都市左京区の鞍馬寺で5月の満月の日に行われる祭りです。
この日は天界と地上の間に通路が開け、ひときわ強いエネルギーが降り注ぐといわれているため祈りを捧げます。
三船祭り
京都市右京区の車折(くるまざき)神社で5月第3日曜日に行われます。
京都嵐山、大堰川(おおいがわ)において平安王朝を偲ぶ舟遊び絵巻を再現した行事です。
※こちらのページの内容は2024年4月時点のものです