土用の丑と七月の歳時記について
7月に入ると気温が30度を超える日も多くなり、本格的な夏到来となります。
月の前半には七夕、後半には土用の丑の日があり、さっぱりしたものやスタミナがつくものが食べたくなる時期です。
今回は7月の歳時記についてブログ担当者が集めた情報をもとにご紹介していきます。
※由来や起源については諸説ありますのでご了承ください
土用の丑の日
土用とは四季の終わり(立夏・立秋・立冬・立春)前の各18日間のことをいいますが、現在は夏の土用だけが話題になることが多いようです。
江戸時代中期の学者、平賀源内(本草学・科学・劇作・医学などの権威でした)が知人の鰻屋に頼まれて「土用丑の日に鰻を食べると暑さ負けしない」という宣伝文句を考案し、それが全国に広まったとされています。ただしそれ以前から土用の頃の猛暑を乗り切るための生活の知恵として栄養たっぷりの鰻を食べるということは行われていたそうです。
七夕
旧暦7月15日の夜、先祖の霊が家に戻り寝食を共にし再度天上に帰ってゆくという民間信仰が古来広く定着しました。その後、盂蘭盆(うらぼん)が広く行われ始めた際に、盆行事の準備をする日として7月7日まで繰り上げられたと言われています。
後に中国から伝承した織女と牽牛の伝説が結びつきロマンチックな星祭の日となる。仙台七夕祭り、湘南ひらつか七夕祭り、香川県金毘羅宮の七夕鞠などが有名ですが旧暦や1ヶ月遅れの地域もあります。
祇園祭
京都市東山区の八坂神社で7月1日~7月31日の1か月にわたって行われる神事です。
平安時代初期(869年)、京の都に疫病が大流行した時、平安京の広大な庭園であった神泉苑に当時の国の数にちなんだ66本の鉾を立て、八坂神社(当時の祇園社)の神を祀って厄災除去を祈願したのがはじまりといわれています。
室町時代には次第に盛り上がりを見せ、山や鉾も華やかさを増し安土桃山時代を経て現代に再現されています。絢爛豪華な西陣織やゴブラン織りの見事さから山鉾は「動く美術館」とも言われており、そこには日本神話や能・狂言・中国の故事・儒教・仏教・道教からキリスト教まで趣向を凝らして取り入れられており町衆の心意気が伝わってきます。一般的には17日の山鉾巡行が有名ですが祇園祭は1か月続く祭礼ですので、この巡行には神輿が通る都大路の穢れを払うという意味もあります。
祇園祭と「鱧」
祇園祭は別名、「鱧まつり」とも言われ、夏には欠かせない食材として様々な料理で味わいます。
かつて交通手段が発達していない時代、海が遠く盆地に囲まれた京都に生きたまま運ぶことのできる魚は「鱧」くらいでした。鱧は驚くほど生命力の強い魚で、梅雨の後には脂が乗り更に美味しさが増します。京都の人々はその強さにあやかり、過酷な夏の暑さを乗り切るために「鱧料理」を食したのです。
その他、七月の歳時記
朝顔市
東京都台東区の真源時(入谷鬼子母神)などで七夕の前後3日間(7月6日〜8日)に行われます。
特に有名なのが入谷の朝顔市です。江戸時代に朝顔が盛んに栽培され、土地の植木職人が競って出品しました。より盛んになったのは明治時代で早朝から買い求める客で溢れています。
ほおずき市
東京都台東区の浅草寺境内で例年7月9日〜10日に行われます。
明和年間(1764〜72年)から続く東京の夏の風物詩です。江戸時代には雷除けとして赤とうもろこしが売られていましたが不作の年、浅草寺からそれに替えて「お守り」が出され、その頃からほおずき売りが盛んになりました。旧暦7月、文月(ふづき)にちなんで「ほおずき市」となったという説や、源頼朝が奥州征伐の帰途、病に倒れた部下に食べさせ元気づけた事に由来する説があるそうです。一般的にほおずきは暑気払いに効能があるとされています。
夏越祭
京都市伏見区の御香宮神社などで毎年7月31日に行われる、半年間の罪やけがれを祓い清める神事です。
残り半年の健康を祈願し、この日神社の鳥居に付けられた大きな茅の輪をくぐったり、玄関に吊るすなど無病息災を祈願します。
千日詣
京都市左京区の愛宕神社で7月31日夜から8月1日早朝にかけて行われます。
この日の夜から翌朝に掛けて火伏せの神、愛宕神社に参拝すると千日分の火伏・防火のご利益があるとされています。とくに三歳までの子供が参ると一生火難にあわないといわれています。
※こちらのページの内容は2024年6月時点のものです